
弊社のある島根県仁多郡は島根県の東南に位置し、いわゆる奥出雲と呼ばれる所にあります。古代より「たたらの里」として栄えてきた町でもあります。
又、神話の町としても有名であり、古事記のその一つに八岐大蛇退治があります。もちろん、これは伝説に他なりませんが、今もこの物語は、神楽によって人々に語り継がれています。
この様に神楽の舞台となるということは、古代より製鉄が行われていたことを物語るものであります。
さて、「たたら」と加工砂との関係を申しますと、玉綱の原料である砂鉄の昔からの採取方法は、風化した花崗岩の山に大量の水を送り、その水の力で山砂鉄を流して採取するものでした。そのため、流された土砂が河川に流れ、長い年月のうちに斐伊川、飯梨川の川床に留まりました。そして川床がだんだん高くなり、今ではその河川の沿線の市街地、農地は逆に川床より低くなり、天井川と呼ばれる姿になっています。昭和49年以前は、古来より大量に流されて推積しておりました川砂が多くの砂利採取業者によって採取され、建築資材として利用されていました。
弊社も砂利採取業者として流れた川砂を採取し、販売しておりました。しかし、川砂の取り過ぎによって色々と問題が発生したため、昭和49年に川砂採取の全面禁止の通達があり、他の数社とともに、加工砂を生産することになり、現在に至っています。
弊社では、現在砂鉄の採取は行っておりませんが、昔は砂鉄を採るために山を崩し、砂を河川に流していました。今では逆に砂を生産するために山を崩し、その副産物として砂鉄を磁力選鉱によって採取しています。このことから、「たたら」と加工砂の深い関係がお分かりいただけるとおもいます。
砂、砕石等は社会資本整備の為には必要不可欠のものであります。弊社は原石山の開発行為の跡地には緑地化を進め、美しい国土を守り環境保全に努力しつつ、今後も製品の品質管理と安定供給に一層の努力をいたす所存でございます。
今後とも皆様の御指導をお願いし、ごあいさつとさせていただきます。